きっと独りで生きていく。

ただのライフログ。

But I feel the deepest emotions

宝箱もサンタクロースも見たことはないけれど。

ネット通販で服を注文した。
福袋というやつで、お任せで服を詰め合わせてもらう。
気候が変わってきていよいよ着る服に困るようになってきた。

実家で暮らしていた頃、家族で初詣に出掛けた帰りに母がいつも福袋を買ってくれた。
小学生の頃からそうだった。
ごみ袋に等しいとも言われるが、なんだかんだ買ってしまえば適当に着回すことができた。
小学生のときはまだしも、どうして私の物を母が買ったかといえば、開けるその瞬間を母が楽しみにしていたからだ。

開けるまでのワクワク感は宝箱に例えられる。
宝箱なんて見たことがある人のほうが少ないだろう。
入っているのは財宝ではなく売れ残りの服だとも知っている。
それでも毎年運試しと称して母と一緒になって開けていた。
一枚一枚床に並べていって、ラッキーだとか、こんなもんどうすんだとか、大爆笑していた。

もう年始に実家に帰ることも少なくなったし、帰っても福袋は買わなくなった。
実家で暮らしていないから実家で開けてもどうしようもないから。

久しぶりの福袋だ。届くのが楽しみで、サンタクロースを待っていた頃を思い出す。
友人に服を選んでもらっていたから自分では服を選べない。届いたものを適当に着て暮らす。

宝箱のワクワクをもう一度。

自分とは何でどこへ向かうべきか

贈り物はいつも手紙だった。

学生の頃はよく手紙を書いていた。
進学のために離れた地元に残る友人たちへ。
誕生日を祝いたいのだが、メールを送るだけでは味気ない。
かといって、処分に困ることなく喜んでもらえる贈り物を選べる自信もなく。
毎度、手紙を送っていた。

授業に集中できなくなったときや、退屈な講演の合間にノートに下書きをする。
添削でぐちゃぐちゃになっても、だいたい便箋何枚分になるかわかるようになった。
下書きしていたノートは処分しているので、どんな内容で送っていたかはもうわからない。


届いたよ、ありがとう。とメールで返してくれる友人もいたし、
手紙で返事をくれた友人もいたし、
音沙汰ないと思っていたら半年位して返事がきたこともあった。

友人たちはどう思っていたのか、その手紙たちをどうしているのかはわからない。


今日、久しぶりに手紙を書こうと思う。
今まで送ったことのない人へ。
ノートではなくてワードに下書きをした。便箋何枚分ぐらいの量なのかよくわからない。


書き終えて封をしたら、忘れずに下書きを消去しなければ。

描きかけの今

あの頃の姿で、いつまでも。

 

自衛官だった頃の話。

ある課程を卒業するときに教官がムービーを作ってくれた。

流行りだった曲をBGMにして、私たちがぼろぼろになってる傍らで撮りためた写真を使って。

卒業時に一度、卒業から赴任までの休みに両親と一度、それっきり観ていない。

 

その中に一枚だけ気に入っている写真がある。それだけ覚えている。

稜線を小隊長とともに銃を携えて、通信機を背負って歩く写真。

夕日で影になって顔はほとんどわからないが、私だと自分ではわかった。

戦闘だったらいい的なのだろうが、様になる写真だった。

辛い訓練だった。汚れきった姿で悲壮感すら漂うように感じられた。

 

そのムービーは久しく観ていないのだが、当時の写真はたまに見ることがある。

自衛官という職歴を活かせたと思ったことはないが、初めて会う方との話題にはいつも事欠かない。

今はだいぶ顔つきも変わってしまった。

でも、写真の中の自分はいつまでもその頃の姿のままで。もう着ることのない戦闘服を着ている。

 

いつか自分が死んだとき。この世界が滅んだとき。

誰かが、もしくは何かがあのムービーを観たら、目に焼きつけられるのはあの頃の自分。

 

誰が読むわけでないブログを書き続けている。

この先独りで生きていけば、誰も私のことを語り継ぐ人はいない。

だから自分で書き残している。

 

自分の過去の姿が衆目にいつまでも晒され続けるのは耐え難いことのようにも思えるけど

いつか誰か思い出してほしいと今は願っている。

もう一度朝と出会えるのなら

この身体で、死ぬまで生きていないといけない。

 

生まれたときと比べればだいぶ姿も変わったが、ずっと付き合ってきたこの身体。

まだまだ知らないこともあるようで、この期に及んで変わるところもあるようで。

好きなところもあって、気に入らないところもあって。

なかなか折り合いがつかない。

 

この一週間、貧血の症状に加え倦怠感が酷かった。

貧血はすぐにおさまったが、朝から身体がだるい毎日。

夕刻になるにつれ耐え難く、業務に支障が出るほどだった。

健康が取柄の人間は、体調を崩すことに慣れていない。

 

普段と同じ速度で歩くことすらできず、帰宅すればシャワーを済ませてすぐに床についていた。

1分以内には寝入っているような気がするほど寝つきがいいのに

ここ最近は寝つけない。(それでも30分以内には寝入っている)

でも疲れ切っていて寝返りも打てない。

それなのに眠りが浅く、変な夢を見る。

だるいまま出社して、倦怠感に耐えながら仕事をこなして、以下繰り返し。

 

倦怠感が苦痛だと感じるほど強いことは今までなかったから、

本当に何か病気になったかもしれないと思った。

普段ひかないからわからないのだが、これが風邪というものだろうかと疑っていた。

 

原因はエネルギー切れだった。

夕食を摂らなかったからだった。

 

たまたま疲れて帰った日、空腹を感じなくてコーヒーだけ飲んで眠った。

次の日、空腹は感じるのだが食事が面倒でタバコだけ吸って眠った。

そうして先週くらいから夕食を摂っていなかった。

デスクワークだからむしろ摂取エネルギー量としては適正量だろうと思っていた。

 

昨日は本当に酷く、明日の朝は会社に辿りつけるかわからないとさえ思った。

ベッドに横たわって動けないが、寝付けもしないので、どうしてこうなったと考えて夕食を最近とっていないことを思い出した。

空腹だが食べる気が起きない。でも無理やり食べた。そして今日は少し改善した。

帰宅してまだ倦怠感はあるが、ペンネを大量に茹でてがっつり食った。

ここまで露骨かと思うほど元気になってきた。

 

あまり燃費が悪いと思ったことはないのだが。

世の指南書が何と言おうが、自分の欲望を信じようと思った。

誰も気づかないような場所で

自分の好きな恰好するのが一番いいんだよ。

そう言ってくださった先輩がいるのだがそうも言っていられない。

 

急に気温が下がったここ最近。

以前からときどき着用するスカイブルーのセットアップジャケットがある。

ホストみたいでかっこいいと褒め言葉をいただける。

つまりはある意味ではあまり似合っていないのだと思っている。

 

職場の雰囲気と

職務上の立場と

人柄と顔立ちと体格と

気にするときりがない。

 

それを無視して好きな恰好をして出勤する日。

今度はヴィジュアル系バンドマンになる。

恐らく上記のどれにもそぐわないのだが、

その姿が一番好きだと言ってくださる方は少なくない。

嬉しいと素直に思う。だけどやはり平日はその恰好はしないことにしている。

 

ホストのようなバンドマンのような。

これでも経理マンなのである。

people talking without speaking

また不思議な夢を見た。

 

また私は学生だった。転校生だった。

夜更けに集まったクラスメートの約半数が半透明だった。

幽霊に近い存在のようだが恐怖心はない。

ただ、顔の判別がつきづらかった。

 

翌日の朝礼。日の光は影響するのか、辛うじて輪郭がわかる程度にしか目視できない。

触れることはできず通り抜けてしまうので重なってしまわないよう気をつけながら整列する。

幽霊クラスメートが号令をかけたらしいが生身の人間である私たちに声は聞こえず、幽霊たちだけが礼をした。

学級委員のような人間がそれを指摘した。

 

なんとなく言いづらい雰囲気ではあったが、正直に手を挙げて「昨日は認識できたが、彼らの声を本日は認識できなくなっているようだ」と申告した。

学級委員は頷いて、恐らくそうだろうとは思う、というような返事をした。

 

学級委員は幽霊(幽霊という呼び名ではなかった)と人間は違う存在であること、

違うが故に亀裂が生まれる恐れがあること、

人間たちに肩入れし過ぎて幽霊たちを差別するようなことがあったら許さないこと、

を私に説明してくれた。

 

日に日に幽霊たちは薄くなっていって、ほとんど認識できなくなった。

人間の友人たちも同じのようだった。存在を誰も意識しなくなった。

廊下に広がって友人たちと歩く。

見えないのだが幽霊たちは平気な顔でぶつかられている(通り抜けられている)ことになっていると思うと気にはなった。

 

廊下にある長机にスナック菓子の袋が積み上げられていた。

ふと菓子が動いたように見えて、幽霊が誰かいるのがわかった。

少し脇によけて通り過ぎようとしたとき、動きに不穏なものを感じた。

いるであろう位置に、どうしたのか、と声をかけた。

瞬間、強風が吹いた。

 

風が止んで、幽霊がいなくなっているのが何故だかわかった。

菓子の袋を見た。デザインが崩れていた。

そこにいた幽霊はその菓子の袋をデザインした本人で、

製造ミスで正常にプリントされなかった製品を見てショックを受けていたのだとこれまた何故だか理解した。

それが私の認識した最後の幽霊の同級生だった。

 

ある日突然、学校から幽霊たちがいなくなっていることに気がついた。

いないも同然、なのではなく本当にいなくなっていた。

姿も見えない彼らがいなくなったことにどうして気づけたのかはわからない。

あの人間の学級委員もいなくなっていた。

いつ、どうして、どのように存在を消してしまったのか、

誰も教えてくれる人はいなかった。

 

印象的な夢だった。

君は冬の夢を見て鳴く蝉

よく頑張っているよ、と言った瞬間、彼女は泣いた。

 

ときどき夢に出てくる人がいる。

つい先日も出てきた。

仕事中の私の手を引いて、半ば強引に休憩に誘われた。

 

最近体調がよくなくて、そろそろ限界なのだと言う。

でも今の仕事を諦めたくないのだと言う。

彼女の傍らに座って話を聞いていた。

お互い仕事をしているのに妙なのだが、私も彼女も高校生だった。

 

何故だか彼女の全てを知っている私は、学校辞めるんだね、と先んじて言った。

目を合わせずに彼女は頷いて、頑張りたいから、と呟いた。

よく頑張っているよ、と言ったら、泣いた。

辛い決断だったろう、と言ったときは、泣かなかった。

 

こういう夢を見るときは、この「彼女」はもう一人の自分なのだということらしい。

でもなんだかそんな感じがしない。

 

ときどき夢に出てくるこの人に、起きているときに会ったことはない。

次に会えるのはいつだろうか。

今回は今までで最も歳が近かった。

どんな間柄で今度は会うのだろうか。