このまま終わってしまうのは
何でもないようなことにいつも称賛と感謝が贈られる。
自分は自然とできるが大多数の他人が苦戦すること、それが「強み」。
よく聞く言葉だが一般的にもそうだろうか。
その人にとってはごく当たり前にこなせることなので、強みは自覚しにくいものであるという話だ。
Access相手に唸っていたら、同僚がいつの間にか隣にいた。
インポートするExcelファイルをマクロで加工していることに興味を持った様子だった。
マクロを記録する過程を見せ、同僚の業務に使えそうな部分を軽く解説した。
同僚は数時間後に業務改善を成功させた。
今までの作業が一気に短縮されたと感謝された。
周囲からも称賛の言葉を贈られた。
私は教えたわけではない。見せただけだ。
この場合、称賛を受けるべきは同僚のほうだ。
見ただけで自分の業務に結び付けてすぐ実行に移せる力は誰にでもあるものではない。
現に、上司は同僚にも称賛の言葉を贈っていた。
悪戦苦闘しているAccessの業務を完了したところで同じ言葉はいただけないのだろう。
誰も使えなかった(らしい)マクロの技術を私は何気なく使い
技術から業務へ応用する発想を同僚は何気なく生み出していく。
労力に評価が見合ってないと感じるから、時折唖然とするものだ。
今日は同僚も私も好き勝手に業務に取り組んでいた。
その中で業務改善が勝手にできあがっていた。
もしかしたらだけど、組んだら強かったのかもしれない。
同僚の退職まで2か月。
今からでも遅くはないだろうか。